🌏 一 著書 芭蕉は一巻の書も著はしたことはない。 芥川龍之介は夏目漱石と同じように英語の教師になっていますが、その後辞職して新聞社に就職しています。

6
室生犀星氏がいつか或る随筆で書いてゐたが、仕事の終つた後で、きれいに机を片づけ、硯に墨をすりながら静かに句想を練る気持は、何とも言へない楽しみだと。

😉 ズワイガニがまたがる姿で、ワンザとのったラーメンが運ばれてくる。

8
なお、四月一日には「偸盗」を『中央公論』に発表。

😜 【同年三月十三日及び十四日追記】 加藤郁乎編「芥川龍之介句集」の独自ソース(全集未収録自筆原稿の写真版)による採句の中に、 凡そ五十数句に及ぶ、てにをはの違いの相似句から全くの新発見句を見出せた。 氏にとって何かがあったであろう特別な日に感じられ、そして「或」ではない幾多の夜半に人生舞台そのものがみえてくるようである。

11
Baudelaie 徂く春の人の名問へばぽん太とぞ その人の舞へるに 行けや春とうと入れたる足拍子 その人のわが上を問へるに 暮るるらむ春はさびしき法師にも われとわが睫毛見てあり暮るる春 一九一七年日本の詩人思を日本の校書に寄するの句を録す。

😊 遊びに来ていた悪友連中は今帰ったと言い、「さうしてそのあとが甚靜な夜となりました私は小さな机と椅子とを椽側へ持ち出してこれを書いているのです」とある。

7
主な出演作には、昭和33年 1958年 の東宝映画である無法松の一生や、昭和41年の大河ドラマ「源義経」があり、このドラマでは主人公・源義経の兄である源頼朝を演じました。

⚡ ・・・(省略)・・・ この句、『冷えて臍の上』にユーモアがある。 本稿冒頭に芸術鑑賞における芥川龍之介の言葉を引用したが、鑑賞する側にいる私としては襟を正す思いである。 「ガラスの割るる音」にも、基次郎の病的世界を読みとることができる。

そのなかに紛れ込んでいる氏の姿も立ち上がるだろう。 「省墓」は「せいぼ」と読み、墓参りのこと。

😀 詩人たちは彼等の仕事の外にもやはり又僕等の仕事にいつも影響を与えてゐる」。 青い布が敷き詰められたその部屋で、芥川は、夏、自らの生に終止符を打ってしまったのでした。

17
「高尾太夫」は、吉原の代表的名妓で、この名を名乗った遊女は十一人いたと言われているが、いずれも京町一丁目三浦屋四郎左衛門方のお抱え遊女であった。 神楽坂のカフェー・プランタンで文藝春秋の菊池寛らが麻雀に熱中し、次第に雑誌等にも取上げられるようになった。

🙌 僕等の差を見るに近からん乎。 教科書でいうところの、存続の感覚である。 実はその詩も聞かせて貰つたのだが、 生憎 ( あいにく )すつかり忘れてしまつた。

5
かすかに光る絹の綿である。 同誌上に処女小説『老年』を発表し、これが作家活動の始まりであったといわれています。

🐾 十 衆道 芭蕉もシエクスピイアやミケル・アンジエロのやうに 衆道 ( しゆだう )を好んだと云はれてゐる。 或時は大木倒すごとし。 【二〇一一年二月十九日】 ブログ270000万アクセス突破を記念し、全五巻の縦書版を公開した。

19
なお、一月一日には「Mensura Zoili」を『新思潮』に、「尾形了齋覚え書」を『新潮』に、「運」を『文章世界』に発表。

🐾 更に、この作品には後半、次の芥川の句が示される。 但し、漱石が「琴のそら音」で「名前に劣らぬ怪しい坂」と語った「切支丹坂」(これは切支丹坂の更に先にある庚申坂と誤っている)を指すかも知れない。

18
拜啓 漱石先生遺墨出來候間御眼にかけ候 ゆる/\御覽下さる可く候 小生未風流地獄の業を脱せず廿日頃までは呻吟致す可くよろしく御同情願上候 頓首 十二月十一日 我鬼生 空谷先生 梧右 なお、「出來候」の「候」は草書体のであるが、正字に直した。 芥川の詩歌について語ろうとするとき、こうした括りのなかから作品たちを解放することが、まず必要なのではないだろうか。